はじめに
学校での教育と、ビジネスで必要とされることの間にはとんでもないギャップがあります。その一つが異端であることを奨励するかしないかということです。ビジネスで普通であることは死を意味します。ここでは、普通であることと異端であることという視点で、学校教育とビジネスでのギャップについてお話します。
学校では解法を使った「正しい解」が評価される
学校では解法に当てはめて答えが出力されるプロセスを持つと優等生となります。数学にしても、国語にしても、社会にしても、英語にしても、理科にしても、全部そうです。一方、学生時代に起業しても、先端的な研究を行っていても評価されません。「すごいね〜」と言われる程度です。これには理由があります。評価の軸がないからです。学校教育では評価の軸が定まっている中で評価される仕組みになっています。この事実に早く気づくとビジネスの指針は考えやすくなります。
ビジネスでは異端であること
異端であるということは、マナーがないことや派手な服装であることを意味していません。異端であるということは誰も成し遂げられない仕組みを作り上げるということです。普通に考えられることを普通に進めたのでは、ビジネスは成就しません。誰も成し遂げてないことに飛び込むことがビジネスでは絶対に必要です。学校では与えられたプールという環境で50m自由形の速さを競っているのに対して、ビジネスではまだ見ぬ大海をどう泳いで縄張りを獲得するかという戦いです。50m自由形の早い人間のほうがポテンシャルは高いと思われますが、それが生きていくための全てではないということです。
言いたいことを言う人を潰さない
アイデアがない人ほど文句を言います。なぜならこれから起こる不安が怖いと考えるからです。私たちも見知らぬアフリカの小国に旅行して、儲かるビジネスがあると現地の人から言われても、相手と信頼関係が結べない限り、絶対に信じないでしょう。それと同じ心理です。つまり、自分にはわからないことをやって、現状が潰されてしまったらどうしようと文句を言う人は考えるわけです。異端であるということは、このような反乱との戦いでもあります。どう信頼関係を構築していくかも重要です。せめて、言いたいことを堂々と言ってもそれを潰さない土壌が教育では必要だと筆者は考えています。
まとめ
学校では普通でいることで褒められました。しかしビジネスでは普通では生きていけません。このギャップに早く気づき、早く切り替えることが重要です。