はじめに
教育とは、教えることではなく、無限の可能性を与えることだと筆者は考えています。ここでは教育の本質について、お話していきたいと考えています。
サラリーマン先生
教育を「教えること」と考えるととどうなるでしょうか?答えは、教師がサラリーマン先生になります。学生時代、あるいは社会人になってからも、なんらかの講義を経験されたことがあると思いますが、その中にただ教える義務だけをこなしている方がいたと思います。そのような人になってしまいます。また、短い時間に教えようと思うことを、あれもこれもと詰め込んでいくと、オーバーフローを起こします。生徒もついてきません。
広がりを魅せる
「学んだ先に一体何が見えるようになるのか?」という問いに「広がりを魅せること」が教育の本質です。(見せるではなく魅せるです。)例えば、高校や大学の数学で習う線形代数も、数値計算のルールを教えるのではなく、CGの仮想空間とディスプレイ座標の座標変換と関連させたり、墾田永年私財法を、語感のリズムで覚えなさいと誤魔化すのではなく、現代のモチベーションマネジメントと関連させたりするなどが広がりという意味です。学問的面白みがないものを教える場合は特に重要なポイントです。
諦めない限り提供し続ける
相手に才能がない場合、仕事であれば、諦めてもらったほうがいいでしょう。一方、教育の場合、相手が望むのであれば、提供し続けるべきです。教育を拒否することは相手の可能性を一つ摘み取ることになります。世の中には早熟型の人もいれば、大器晩成型の人もいます。足が速い人と遅い人がいるように、学ぶことが得意な人と苦手な人もいるわけです。この違いを理解しておくことが教育する際には重要です。
まとめ
教育はただ教えればいいものではなく、教えた相手が無限の可能性を感じられるようにすることが目標です。そのためにも、広がりと成長速度に配慮することが望ましいです。