はじめに
勉強は本来「生きていく力」を身につけるためのものです。「生きていく」には2つの意味があります。1つは「自分が生きていく」ということ、もう1つは「みんなで生きていく」ということです。ここでは勉強する意味についてお話します。
学校教育は時代とミスマッチ
勉強することに疑問を持つ理由は、学校教育は時代と随分ミスマッチしているからだと筆者は考えています。今の時代、初等教育を終えた後、生きていくためにまず覚えなければならないものは「IT」「英語」「お金」の3つです。なぜなら、この3つはどのような職業でも必要になるからです。では実態はどうでしょうか?残念ながらこの3つの中で、主要教科であるのは「英語」だけです。しかも、その英語も、学校英語のままでは海外ではほとんど使い物になりません。社会人向けの英語学校が大量に存在しているのは何よりの証明です。また、古典や漢文を判読できる力よりも、英語やプログラミング言語ができる力のほうが現実的に役立ちます。お金についても、経済原理などといった難しい内容ではなく、税金や社会保険料をきちんと払うことや、借金をしたらどうなるのか、貯金は得か、どうやってお金を稼ぐかなどのことを学ぶべきです。大人になって古典や漢文を知らなくても生きていけますが、お金は知らなければ生きていけません。知るべきことを学べないから学校の勉強が嫌になって、勉強が嫌いになる、こんなことがずっと数十年来続いていると筆者は考えています。
価値のある勉強は社会と接合したときに始まる
社会人、すなわち、世の中のために役に立つことをして、お金を稼いで、自立して生きていけるようになった段階で、勉強する(した)ことに価値が生まれます。全てではありませんが、多くのことが学生時代に学んだことよりも、社会人になってから学んだことのほうが役に立ちます。なぜなら、勉強が生きていくことに直結するからです。仕事で難しいことを解決するために、相手のことをよく理解するためになど、理由は様々ですが、目的に向かってまっすぐに学びたいものを学べると勉強に価値が生まれます。
自分が生きていく。みんなで生きていく。
冒頭にも書きましたが、勉強は自分が生きていくための手段を獲得するものであり、みんなで生きていくための知識を共有するものです。
まとめ
勉強は生きていく力を身につけるためのものです。しかし、現在の学校教育は、社会で必要なものとはリンクされていない部分もあり、勉強する理由が見えづらく、モチベーションの低下につながっている部分もあります。社会で必要とされる能力を、先見の明を持っているリーダーから学んでいくことが、次世代を生きていくためには必要です。